RE: ちゃんと向き合って二年で辞める

ちゃんと向き合う Link to heading

我ながらちゃんと向き合っている。ただ、その姿勢は現在所属する組織では求められていないと感じる。

仕事での問題にちゃんと向き合う過程で、後に組織に必要とされるソフトウェアを書いた。我ながらビジョナリーである。だが価値が認知されるのに一年半もかかった。動くものを見せてからも事実上無視され続けたのでやむを得ずかなりの量の自分の時間を投じて作り続けた。それがお隣のチームのエライ人に価値を認められて更に発展させようという正式なプロジェクトとなるまで一年半。そしてここまでは成果として評価されない。

残念な経験だったが、初期の段階で上手にピッチしてスポンサーしてもらうスキルが欠けているという側面もある。次同様の機会があればもうちょっとちゃんと試してみたい。

利益をちゃんと生み出していて、強力なリーダーシップとプロダクトマネジメントチームを持つこの組織においては、現場の開発者が何をすべきかについて迷いがない。顧客が求めるもの、故に会社として生産すべきものは彼らが優先順位付きでしっかり決めて開発チームにおろしてきてくれるからだ。

前に働いていた日本の小さな会社では「何を作るか」まで開発者が考えるという姿勢を染み込ませられたのだが、このプロダクトをPMに任せるスタイルは意外と寂しく感じない。その道のプロがいるというのは頼もしいし、あるべき姿だなあと思う。さすが成熟した業界トップクラスの大企業だ。

一方、プロダクトマネジメントの期待にしっかり応えられるよう、生み出すソフトウェアの質と量を高めるために開発チーム内でできることは開発チームの中の人の方がよく見えるから、現場開発者の「何をするか」から始まるレベルの問題解決能力はここで発揮すればいいのだなあと思っていた。諸々発生する面倒な作業の自動化なんかはわかりやすい例だろう。

しかしどうやらそんなことに興味があるのは自分だけのようであった。これは残念。先述のソフトウェアもそうだし、結構みんな仕組みづくりに関心がないらしい。

なんてことを思い返していてこの記事を思い出した。しかし私の環境の場合、カルマなど存在していない気がする…というのはつまり私がカルマを使うのが下手くそなのかもしれない。

2015/01/26: カルマをためすぎない

何はともあれ重要なのはちゃんと向き合えているという事実。上記の例では、問題があって、それを解決するべくソフトウェアを書いて、それが人の役に立った。ようやくこれが自分でできた。

二年で辞める Link to heading

二年以上経ったけど辞めていない。

自分がやりたかったことまじでどんぴしゃで超ラッキーと思っていたプロジェクトが大人の事情でなかったことになりそう。さらに上述の例のように、自分が正しいと思うことが組織にはそうでないのだと突きつけられることがしばしばある。

しかしまあ会社で働くなんてそんなもんだろう。それを受け入れてこのままのんびり働くか、スキルアップして転職するかのどちらかだろう。スキルアップして転職…。そんなこと言い始めて一体何年経つんだ。

いずれにしても、仕事はきっとしすぎないほうがいい。仕事は勉強より楽だから「なにかプラスアルファを」と思う時についやっちゃうんだろう。おそらく意識して我慢したほうがいい。今年は10-16時をベースに仕事しよう。

お仕事の場所がどこであれ、一年後に今と違う景色を見ていたい。